宗派について

葬儀

日本においての主な宗派は以下のとおりです。

天台宗

宗祖
伝教大師 最澄 (766~822)

ご本尊
阿弥陀如来が一般的ですが、釈迦如来、薬師如来、観音菩薩をおまつりすることもあります。

お唱えする言葉
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

主な経典
法華経、阿弥陀経、大日経、梵網菩薩戒経(ぼんもうぼさつかいきょう)

教え
天台宗は、妙法蓮華経(法華経)こそ、仏陀の教えの究極を説いたものとします。
この法華経を中心に、菩薩戒・顕教・密教・禅法などを融合した総合仏教といえます。
すべての人、生物、存在には仏になる可能性があると教えています。

歴史
さまざまな仏教を学び修行した最澄は、804年、38歳のときに、留学僧として唐に渡り天台山で天台教学を授かりました。帰国後、比叡山を拠点に天台宗を興します。

総本山
・比叡山延暦寺(滋賀県大津市)

真言宗

宗祖
弘法大師空海 (774~835)

ご本尊
大日如来

お唱えする言葉
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

主な経典
大日経、金剛頂経、般若理趣経

教え

真言宗は真言密教とも言い、「即身成仏」を教えの根幹にしています。
これは密教の修行の実践により、誰でもただちに仏になることができるという教えです。密教の修行とは、身体の修行である身密、言葉の修行である口密、心の修行である意密で、あわせて身口意の三密修行と呼ばれています。

歴史
弘法大師空海は15歳で都にのぼり、仏教をはじめさまざまな学問を学び、各地の山野で修行しました。そして密教の実践を学ため中国へ留学、帰国後、全国行脚を経て真言宗を開きます。

主な宗派と本山
・高野山真言宗  高野山金剛峰寺(和歌山県伊都郡高野町高野山)
・真言宗智山派  仏頂山智積院(京都市東山区)
・真言宗豊山派  豊山長谷寺(奈良県桜井市)
・新義真言宗   大伝法院根来寺(和歌山県那賀郡岩出町)

浄土宗

宗祖
法然上人 (1133~1212)

ご本尊
阿弥陀如来

お唱えする言葉
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

主な経典
観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経

教え
浄土宗は、阿弥陀如来が西方十万億土のかなたにつくられた、浄らかな極楽浄土に往生することを説く教えです。極楽浄土に往生し、そこで阿弥陀如来の説法を聞いて仏になるのです。極楽浄土に往生するためには阿弥陀如来の救いを信じて「南無阿弥陀仏」と唱えることが大切だと、法然上人は教えています。

阿弥陀如来の救いを信じ、南無阿弥陀仏を唱えていると、心も体も清らかになり、人生を心豊かに生きぬき、死後浄土に生まれて仏さまになることができるのです。

浄土に生まれれば、いつまでも浄土に居られるのですが、仏さまとしてこの世に帰ってきて、まだ救われない人々を救うこともできるというのが、浄土宗の教えです。

歴史

浄土宗の宗祖法然は、叔父の観覚のもとで仏教を学んだ後、出家します。法然は、比叡山のなかでも真摯に仏道を求める僧侶が集う西塔の黒谷別所で慈眼房叡空に入門します。

それから25年間、ひたすら仏道を追い求め、そしてついに43歳の時、善導大師の「一心に阿弥陀仏の名をたたえて念仏を唱えれば極楽往生できる」という教えに触れ、浄土宗を開宗します。この「念仏を唱えれば救われる」という教えはまたたく間に広まり、法然の死後、弟子達によって浄土宗はさらに広まってゆきました。

総本山
華頂山知恩院(華頂山知恩教院大谷寺)(京都市東山区)

七大本山
・増上寺(東京都港区芝公園)
・知恩寺(京都市左京区田)
・清浄華院(京都市上京区)
・金戒光明寺(京都市左京区)
・善導寺(福岡県久留米市)
・光明寺(神奈川県鎌倉市)
・善光寺大本願(長野県長野市)

真宗大谷派

宗祖
親鸞聖人 (1173~1262)

ご本尊
阿弥陀如来

お唱えする言葉
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

主な経典
観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経、教行信証

教え
阿弥陀如来は私達のような者を救おうと誓い、浄土を建立しました。この、阿弥陀如来の建立した浄土に生まれる道を説くのが真宗の教えです。阿弥陀如来は私達のような者こそを、救いの対象にしているのだと説いているのです。また、真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としています。自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心とともに唱える「他力念仏」が真宗の念仏なのです。

歴史
親鸞は京都に生まれ9歳で得度しました。その後20年間に亘り比叡山で修行をつづけますが、やがて比叡山の仏教に絶望し浄土宗の宗祖法然を訪ねます。そこで法然の専修念仏の教えに感銘し入門します。しかし、念仏禁止令が発布され、越後に流罪。流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始めます。

そして元仁元年(1224)真宗の根本聖典になる「教行信証」を執筆、この年が立教開宗の年とされています。織田信長の本願寺攻略をはじめとして、時の権力者に翻弄され東本願寺と西本願寺にわかれますが、宗勢は衰えることなく、現在に至ります。

総本山
東本願寺(真宗本廟)(京都市下京区)

浄土真宗本願寺派

宗祖
法然上人 (1133~1212)

ご本尊
阿弥陀如来

お唱えする言葉
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

主な経典
観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経、教行信証

教え
阿弥陀如来は私達のような者を救おうと誓い、浄土を建立しました。この、阿弥陀如来の建立した浄土に生まれる道を説くのが真宗の教えです。阿弥陀如来は私達のよう な者こそを、救いの対象にしているのだと説いているのです。また、真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としています。自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心とともに唱える「他力念仏」が真宗の念仏なのです。

歴史
親鸞は京都に生まれ9歳で得度しました。その後20年間に亘り比叡山で修行をつづけますが、やがて比叡山の仏教に絶望し浄土宗の宗祖法然を訪ねます。そこで法然の専修念仏の教えに感銘し入門します。しかし、念仏禁止令が発布され、越後に流罪。流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始めます。

そして元仁元年(1224)真宗の根本聖典になる「教行信証」を執筆、この年が立教開宗の年とされています。織田信長の本願寺攻略をはじめとして、時の権力者に翻弄され東本願寺と西本願寺にわかれますが、宗勢は衰えることなく、現在に至ります。

総本山
・西本願寺(京都市下京区)

臨済宗

宗祖
栄西禅師 (1141~1215)

ご本尊
釈迦牟尼仏

お唱えする言葉
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

主な経典
般若心経、観音経、大悲呪(だいひしゅう)

教え
臨済宗の教えは、人間が生まれながらに、だれもがそなえている厳粛で純粋な人間性をみずから悟ることによって、仏と寸分も違わぬ人間の尊さを把握するところにあります。もちろん禅宗ですから、坐禅を最も重視します。

歴史
禅宗はお釈迦さまから二十八代目にあたる菩提達磨によって中国へ伝えられました。
臨済宗は、中国の禅宗五家七宗の一つで、臨済義玄を開祖としています。わが国に初めて臨済宗を伝えたのは明庵栄西です。室町時代には武家の帰依を受け臨済宗は発展を遂げ、建築や水墨画、文学などの禅文化が花開きます。そして、江戸時代中期に白隠慧鶴によって現在に直接つながる臨済宗の教義が完成したのです。禅宗では弟子が師匠から法を受け継ぐことを、特に重視します。それは、仏教開祖のお釈迦さまの悟りを引き継いでいる、ということを大切にするからです。

主な宗派と本山
・臨済宗妙心寺派 正法山妙心寺(京都市右京区花園)
・臨済宗建仁寺派 東山建仁寺(京都市東山区)
・臨済宗南禅寺派 瑞龍山南禅寺(京都市左京区)
・臨済宗建長寺派 巨福山建長寺(神奈川県鎌倉)
・臨済宗円覚寺派 瑞鹿山円覚寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)

曹洞宗

宗祖
高祖 承陽大師道元 (1200~1253)
太祖 常済大師螢山 (1266~1325)

ご本尊
釈迦牟尼仏

お唱えする言葉
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

主な経典
般若心経、観音経、法華経、修証義、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)

教え

曹洞宗の修行の基本は坐禅です。修行は坐禅だけには限りませんが、ただひたすらに坐禅を行うことを最も重要に考えますそして、坐禅の心とすがたで、日常生活を生きてゆくことを説きます。日常生活を大切にして、今、ここで生きているかけがえのない、いのちを事実のままに生きることこそが、修行であり、この自己の修行がそのまま仏の行であると教えています。

歴史
8世紀初め頃の中国の禅僧である洞山良价の「洞」と、その弟子である曹山本寂の「曹」をとって「曹洞」としたのが、曹洞宗の名の由来だと言われています。わが国に曹洞宗を開いた道元は、13歳の時に比叡山に上り、天台教学を学びます。

しかし、天台宗に疑問を抱き、18歳で建仁寺に栄西を訪ねます。そして1223年、中国に渡り、如浄を師として曹洞禅を学びました。帰国した道元は、宇治に興聖寺を開きます。その後、越前に移り永平寺を建て、自らの理想とする正伝の仏法の提唱と弟子の養成につとめました。道元から四代目にあたる螢山は、多くの優れた弟子を養成しながら大衆教化にもつとめ、現在、日本最大の寺院数を誇る曹洞宗の素地をつくりました。曹洞宗では道元を宗派の父、螢山を母にたとえ、両祖と仰いでいます

両本山
・永平寺(福井県吉田郡永平寺町志比)
・総持寺(神奈川県横浜市鶴見区鶴見)

日蓮宗

宗祖
日蓮聖人 (1222~1282)

ご本尊
大曼荼羅

お唱えする言葉

南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)

主な経典
法華経(妙法蓮華経)

教え
主だった日本仏教各宗派の中で、日本人宗祖の名前を冠して宗派名にしているのは日蓮宗だけです。それだけ、宗祖日蓮聖人の存在意義が教義に大きく反映しているのでしょう。日蓮宗ではお釈迦さまの説かれた教えの中でも「法華経」こそが、世の中を救う絶対最高の教えであるとします。

法華経を日本に広宣流布した日蓮聖人の教説を通して法華経を理解し、実践してゆくのが日蓮宗です。法華経は本仏の声そのものであり、法華経の功徳すべてが「南無妙法蓮華経」の七文字にこめられていると日蓮聖人は考えました。
そこで、「法華経の内容をすべて信じ帰依する」という意味の「南無妙法蓮華経」を唱えることを、何よりも重要な修行としています

歴史
日蓮は、12歳で天台宗清澄寺に入り、16歳で得度します。
21歳の時に比叡山へ上ると膨大な書物を読破しながら、教えを求めて園城寺、高野山などへも訪れます。こうした修行を11年間続け、ついに、「お釈迦さまの最高の教えである「法華経」こそが、救いのよりどころとなる唯一の経典である」という確信を得ました。清澄寺に戻った日蓮は、1253年清澄山頂に登って「南無妙法蓮華経」の題目を高唱し、立教を宣言します。「社会に天災や疫病などが続くのは邪法・悪法がはびこっているからだ。法華経信仰によって国土の安穏をはからなければならない」と説いた「立正安国論」を執権北条時頼に提出すると、その内容を幕府に危険視され伊豆に流罪(伊豆の法難)。さらに「龍の口の法難」では斬殺寸前となりますが稲妻によって奇跡的に逃れ、佐渡に流罪となります。1274年ようやくゆるされた日蓮は身延山に入り、61歳で生涯を閉じるまで著作と後進の育成につとめたのです

総本山
・身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)

監修:株式会社A’ZUMA 東葬祭

葬儀について司法書士・宮田浩志からのメッセージ

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